最近はお天気も良く、とても暖かい日が続きますね。近所のお花も嬉しそうに咲いています。 5月7日(木)より、あべのハルカス近鉄本店にて個展を予定していた「中村祐子 日本画展-四季の輝き-」ですが、新型コロナウイルス感染拡大の影響により中止となりましたことをお知らせいたします。 個展は中止となってしまいましたが、この場を借りまして中村祐子(ナカムラユウコ)先生にお話をお聞きしました! -制作のコンセプトを教えてください。 身の回りにある自然と、そこに生きる小さな生き物たちの命の輝きを伝統的な花鳥画で描いています。 -昔から花鳥画を描かれていたのでしょうか。 幼い頃から自然や植物、生き物(虫や鳥など小さな生き物)が好きで身近でした。 だからなのか、昔から花鳥画が好きで、描いていました。 近所の公園などで植物の種類を調べたり、虫や小さな魚を捕まえて飼ってみたり、鳥も一時期飼っていたことがあります。 いつも図鑑を持ち歩く子供でしたね。 身近に大きな公園や植物園、自然がたくさんあるわけではなかったですが、それだけに近所の公園や緑の遊歩道など、身近で見つけることが出来る自然にとても興味がありました。 中高は部活でも園芸を選択して、学校の畑でいろいろな野菜とハーブ(花よりも食べれるものメインですが笑)を栽培していて、土や自然に触れる機会が常にありました。 「日なた」F4 -他のモチーフに挑戦されたことはありますか? 人物や風景画は自分に親しいものであれば描けるかもしれません。 ですが、どこかを訪れて描いたり、モデルさんをお願いするということだと親しみがなくて、気持ちを込めるのが難しいのかもしれません。 -作家を志そうと思ったのはいつ頃ですか? 物心ついた頃から絵を描くのは好きでしたが、高校生の時、伊藤若冲の動色彩絵や円山応挙の孔雀図、北斎の肉筆画を宮内庁三の丸尚蔵館で見たとき、日本画を描きたいと思いました。 また、田中一村、小茂田青樹、山口華楊、明治大正期の日本画家の花鳥画作品も好きです。 -日本画のどんな所に魅かれましたか? 岩絵具の鮮やかな色彩、身近な植物や生き物を絵にして、四季の移ろいと小さな命を賛美する考え方に共感したのですよね。 特に、若冲の動植綵絵は、中心に三幅の仏画を描き、その両側に、動植物を描いて仏の世界を荘厳(しょうごん)するという考え方にも感動しました。 -中村先生は早稲田大学の第一文学部美術史学専攻をご卒業された後、東京藝大に行かれていますが、最初学ぶ方に行かれたのは何故でしょうか? 家族に画家になることを反対されていたので、早稲田の美術史学科を専攻しましたが、画家になる夢を諦めきれず、藝大に入りました。 早稲田は専攻が決まるのは2年目からで、さらに美術史学専攻に決まっても、一年目は西洋、日本、東洋と広く美術史を学びます。 その上で3年目から日本美術史とさらに専門を深めていくシステムになっているので、日本画を描く上で、日本美術史を学びたいと思っていましたが、それ以外にも幅広く学ぶことができました。 -日本画は藝大に入られてから? そうですね。 日本画に触れられたのは早稲田を卒業し、二浪して藝大に入ってからになります。 また、日本画は高校の部活や塾では学べるところは皆無でした。 個人で日本画教室など探せばあったのかもしれませんが、約30年前近く前のことで、当時はネットで調べる環境はなく、日本画家の家に住み込んで弟子として学ぶ時代ではすでになくなっていました。 日本画を学ぶには美大に行くしかなかったかと思います。 油絵と違い、ろくに技法書もないので、独学で描いていくのは難しかったかと…。 -大学院では、文化財保存修復を専攻されていますよね。 大学では、日本画の伝統的な技法や技術を習う機会が実はあまりありませんでした。 文化財保存修復に入れば、古典作品の模写によって絵画技法や、日本画の画材に対する知識、保存方法、掛け軸、襖絵など表装の知識が学べると思い、入りました。 今でもその知識は自分の制作に大変役に立っています。 -技法の中でどこに一番こだわりを持っているか教えてください。 命の輝きを表現するため、金箔や、大学院時代に習得した截金、雲母や水晶など輝きの強い画材を作品に取り入れています。 どうしても現実的というよりは平面的、装飾的な要素が強くなりますが、「植物や生き物という現実的なモチーフが、作品の中でうまく融合した世界」が作れたらと常に考えています。 -截金は人間国宝である江里佐代子先生から教わられたのですよね。 截金のどんな所に魅力を感じますか? 金泥で細い線を描いても、截金の線のような鋭く強く、均一の太さの線は描けません。 截金は金箔を何枚も重ねて竹の刃で切って貼るので非常に工芸的です。 切る太さや形を変えて、筆では描けない繊細な文様や、線描のように使って形を描くこともでき、金箔を貼るだけではない新しい表現ができるところに魅力を感じます。 (鹿革で作った箔盤の上に焼き合わせた箔を置き、竹で作った刀で細く截(き)ります。) (左手に持った筆で細く糸状に截った箔の一本の端を巻きとり、右手に持った筆に 膠(にかわ)と布海苔(ふのり)を混合した接着液を付けて、箔のもう一方の端にそ の接着液を付けながら、貼り付けていきます。) また、江里先生とは大学院時代にお世話になりました。 お会いしてから数年でお亡くなりになられたので、短いお付き合いになりとても残念でした。 通常、伝統工芸の技法などは弟子入りをして何年も下積みをしてやっと習うことのできるものですが、それでは後にまた技法が埋もれてしまう、後人が競い合って技術を磨いて後世へ伝えていって欲しいと、惜しげもなく学生に技術をお教えくださりました。 ご自身が熱心に取り組まれている姿をお見せくださる姿勢が素晴らしかったです。 人間的に本当に素晴らしい先生で、ご主人の江里康慧先生とも仲がよくご家庭を大事にされる素敵な女性でした。 -中村先生の作品に見られる文様は、決まったパターンがあるのですか? 截金の文様はほとんど彩色が完成してから最後に入れるものですので、絵の雰囲気や描かれているモチーフのイメージから即興で作っています。 「夏想」P3 -大学院時代の作品が東京藝大の美術館に所蔵されているとか。 こちらは修士の時の修了制作です。 「阿弥陀三尊来迎図」という、鎌倉時代の作品の現状模写をいたしました。 極楽浄土にいる阿弥陀如来と、その脇の観音菩薩(かんのんぼさつ)、勢至菩薩(せいしぼさつ)の阿弥陀三尊(あみださんぞん)がお迎えに来られた様子が描かれています。 「阿弥陀三尊来迎図」想定復元模写 (袈裟衣だけでなく、蓮や波などにも繊細な截金が…!) →その②へ続きます