作品について
「螘」――蟻を意味するこの一字を冠した小品は、銅と真鍮の板から鍛金・彫金によって立ち上げられた昆虫の姿を、漆と木の台座が静かに受け止める。化学着色によって得られた金属表面の深い色調が、塗料では到達し得ない有機的な質感を生み出している。幼少期に地面を這う虫を見つめた記憶を金属で再構築する制作姿勢が、掌に収まる100ミリ四方の中に凝縮されている。 【作品について】 「螘(ぎ)」は蟻を意味する漢字をタイトルに冠した、銅・真鍮・漆・木による小品である。手のひらに収まるH100×W100×D25㎜という寸法の中に、蟻の姿が金属で立体的に造形されている。銅と真鍮の地金が持つ固有の色味と、漆の深い艶が組み合わさることで、小さな生命体の存在感が静かに、しかし確かに立ち上がる。木の台座が周囲に余白を生み出し、蟻が地面を歩む一瞬の「空気感」をそのまま切り取ったような空間を形づくっている。 【蟻というモチーフについて】 蟻は、原田が幼少期から観察し続けてきた「身近にある小さな世界」の住人のひとつである。原田は「幼少期にはただただ夢中に観察し、身近にある小さい世界を覗き見していました。大人になって慌ただしい生活の中でついつい見落としてしまっていた感覚を思い出すきっかけになればと思っています」と語っている。足元を行き交う蟻の姿は、多くの人が子どもの頃に一度はしゃがみ込んで眺めた記憶と結びつく。日常で見落とされがちな小さな生命を、金属造形として手のひらサイズに凝縮することで、かつての視線の高さと好奇心を鑑賞者に呼び戻す。 【素材・技法について】 銅板を焼きなましによって柔らかくし、当て金に当てながら金槌で叩き出す鍛金の技法で蟻の体躯が成形されている。脚や触角といった極めて細い部位は真鍮を用い、TIG溶接や銀鑞付けでパーツを接合する。塗料は一切使わず、銅と真鍮それぞれの素材が持つ固有の色、そして化学変化による発色で蟻の体色を表現する。「素材を限定することによって得られる表現を目指しています。全て金属で形を作るだけでなく色も金属の化学変化で発色させることによって表現しています」という原田の言葉どおり、金属だけで生命の色と質感が再現されている。漆は色彩の幅を広げる異素材として加わり、木の台座は作品に「余白美」を与える装置として機能している。 【見どころ】 100㎜四方という限られた空間の中で、蟻がどこへ向かい、何をしていたのか——その前後の時間まで想像させる余白に注目していただきたい。原田は「自分の作品が見た人が共感していただくほどで成立し完成する作品だと思っています」と述べており、この小さな一匹の蟻に何を感じるかは鑑賞者に委ねられている。
原田武の作品